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ハノイの風に吹かれて
◆一通のメール◆

2002年10月28日、僕はベトナムのハノイへ出発しました。3泊4日ととても短い日程でした。僕がベトナムに行くきっかけになったのは、2001年6月、タイのチェンマイで知り合ったあっこさんからの一通のメールでした。彼女からのメールにはこう書いてありました。

「12月にベトナムに入り、縁あってまだベトナムに居ます。ベトナムに嵌ってしまいました。偶然にもベトナム在住の同郷の知り合いに会い、新会社設立のお手伝いをすることになりました。」

彼女は2001年11月に再びタイへ出発し、ラオス、ベトナムと東南アジアを放浪していました。僕はタイ旅行以来、東南アジア諸国にとても興味を持っていたので、彼女を頼りにベトナム行きを決めました。


◆ベトナムの食べ物◆

皆さんはベトナムと言って何を連想しますか?べトナム戦争、ベトナム料理、アオザイ、それから最近、CMで取り上げられ有名になったフォーぐらいでしょうか?

ハノイの風に吹かれて_b0047028_21421924.jpgフォーはハノイが名産で、「是非食べてみたら?」と勧められて食べてみたんですが、これがうまい!!チリソースやレモンをかけて食べるんですが、ピリ辛でとてもあっさりしています。このチリソースめちゃめちゃ辛いので、かけすぎたら食べれなくなります。それから、トッピングとして海老煎のようなものがあるんですが、これがまたフォーとあうんだな~

それから、ベトナムと言えば生春巻きが有名ですよね?生春巻きはハノイではなくホーチミンが有名なので、こっちではあまり食べないらしいです。ベトナムに行ったら絶対に生春巻きを食べるぞと決めていたのでかなり残念でした(TT)
ハノイでは生春巻きではなく主に揚げ春巻きを食べます。この揚げ春巻きがすごく美味い!!味は日本の春巻きと似ています。

それから、ベトナムでは孵化寸前の鶏の卵を食べます。これはゲテものではなく、普通に市場に売られてます。普通の卵より高価なんです。日本ではまず経験できないし、いい機会なので挑戦してみました。 孵化しかけのひよこの胎児の姿は・・・やはりグロイです。グロすぎです。

口に運ぶのをためらってしまいましたが、それでも、おそるおそる口に運び食べてみたら、「あれ?これ意外にうまいじゃん!」普通に卵と鶏肉の味なんですよね。そのまんまなんですよ(笑)ちなみに、これの名前は「ホビロン」。アニメのキャラクターみたいなかわいらしい名前ですね(笑)

それから、ベトナムでは暦で特別な日に、犬を食べる習慣があるらしいんですよ。孵化した卵を食べたんで、もうこうなったら犬でも何でもきやがれと思い、「犬肉食べてみたいっす!」と言ったんですが、あっこさんから「マトン食べれる?」と聞かれ、「ん~、マトンはちょっと無理っすね、、、」と答えたら、「じゃーやめといた方がいいよ」とあっさりダメ出しされてしまいました(苦笑)
犬肉はそうとう臭いらしいです。臭さはマトンの比じゃないみたい。少なくともマトンが食べられる人でなければ犬肉は食べられないとのことです。


◆アオザイについて◆

話変わりますけど、皆さんアオザイって知ってますか?ベトナムと言えばアオザイ。そんなイメージないでしょうか?チャイナドレスのようなセクシーな衣装。ベトナムでは、アオザイを着た綺麗なお姉さんが街中を歩いてるんだろ~な、と思ってた僕。どうやら現実はまったく違っていました・・・。

通り過ぎる女性の中にアオザイを着ている人がいない。1人もいない。みんな普通にTシャツを着てる。「お!アオザイ着ためっちゃ綺麗な2人組が居るぞ!」と思ったら、どうやらその2人組の綺麗な女性は、全国各地で行われている様々な催しで歌を歌っているプロの歌い手さんという事でした。どうりで何か雰囲気が違うな~と思ったよ。一応、記念(?)にそのアオザイを着た2人の綺麗なお姉さんと写真撮りました(笑)

僕はあっこさんに「アオザイは晴れ着だから普段着ないんだよ(爆笑)」と大笑いされてしまいました。アオザイって、日本においての着物のようなもんなんだってさ。


◆ベトナムの生活◆

僕はこの3泊4日の間、あっこさんの働いている旅行会社に宿泊させてもらいました。社長は沖縄出身の白髪の叔父さんで、無口だけどすごく優しい人でした。社長は勤めていた会社に疑問を感じ、脱サラしてベトナムで事業を興したと言っていました。毎日必ず5時には起きて、会社に送られてくるメールをチェックするすごくまじめな人。取引相手は日本なので、日本との時差を考えて行動してるんだって。

住み込みの家政婦さんがいるのには驚きました。しかも、二人も居て二人とも10代。何かカルチャーショックを受けてしまいました。二人とも田舎から出てきた子で、生活が大変なんだろ~な~と思ってしまいました。因みに、給料はお小遣い程度しかもらってないそうです。
2人とも朝早くから起きて一生懸命働いていました。その姿を見て、偉いな~と感心してしまいました。それから彼女達、日本語うますぎ!学校行かなくても語学は習得できるんだな~と彼女達を見てて、実感させられました。

それから日本語学校の教師であり日本人のアキバさん。彼はベトナムに永住するつもりだと話ていました。日本でベトナム語の教師をするつもりはさらさらないそうで、例え給料低くても、ベトナムで日本語を教える事にやりがいを感じていると言っていました。日本の語学学校の一教師として、会社の歯車になるのが嫌なんだって。「小さな学校でも自分を本当に必要としてくれる生徒に勉強を教えたい」と語ってくれました。彼は家庭教師もやっているらしく、雨の日、バイクで小1時間もかかる生徒の家まで家庭教師に行ってました。すばらしいね。頑張って欲しいです。

それから社長の友人の娘さんのミッキーさん。とても華奢な彼女。始めて会って、挨拶を交わした時、てっきりベトナムの娘だと勘違いしてしまいました(^^:)「あの子日本語うまいっすよね~」とあっこさんに言ったら、当然のごとく爆笑されました。

社長をはじめ、アキバさん、ミッキーさん、家政婦の子達、会社の従業員とその奥さん。みんな楽しい人達で、彼らは毎晩集まり深夜までトランプで遊んでいます。日曜は朝から晩までずっとトランプで遊んでます。ホントよく飽きないよなぁ~この人たち・・・

まあ近くに遊び場が無いって事もあるんだろうけど。ちなみに、あっこさんの要望で僕は日本からおみやげでトランプを持ってきました。ここら辺では紙トランプしか売ってないみたいで、すぐに駄目になっちゃうんですって。そりゃーあんた、毎晩やってればすぐに駄目にもなるよ(笑)
彼らは賭けをやっているんですけども、10円20円の世界。買った負けたで、みんな一喜一憂してます。アットホームで(・∀・)イイ!!


◆ホーチミン廊◆

ハノイの風に吹かれて_b0047028_21504224.jpg翌朝、ガイドさんのトウアンさんとあっこさんと3人で市内に出かけました。まず、ベトナム建国の父ホーチミン主席の遺体が安置されてるホーチミン廟に行く事にしました。ホーチミン廊の前の広場には、「何事か?」と思うほど長~い行列ができいました。どうやら、たまたま今日がホーチミン廟が完成した記念日であったため、この異常なほどの混雑ぶりが起きてしまったようです。朝日が照りつける中、待つこと1時間弱、やっと中に入る事ができました(汗)。

中には微動だにしない衛兵が数人おり、その衛兵に守られるように中央にホーチミン主席の遺体がガラスケースに安置されていた。何やらこのホーチミン主席の遺体の記述には、「剥製」って書いてあるらしいんだけど、、、大体人間の剥製ってありえないでしょ(笑)。廟の中に入る場合、半ズボン、ノースリーブ、サングラスを掛けてる人は入場できない。中では私語や途中で立ち止まったりするのは禁止。写真撮影はもってのほかと、かなり厳重体制でした。


◆一柱寺◆

それから、ホーチミン廟のすぐ隣にある一柱寺を見に行きました。11世紀、李朝時代に建立された仏教寺院で蓮の花を模して建てられたと言われている寺。

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まず、このお寺見てびっくり。え?何がって?柱1本なんですよ!柱1本!柱1本の上に本堂が乗っかってるんですよ!あまりにもユニークな形してたので、なんか惹きつけられてしまいました。ほんとすごいバランス感覚です、このお寺(笑)

夏には水面一杯に蓮の花が咲き乱れるらしいです。さぞ綺麗なんでしょうね。





◆ホアンキエム湖◆

ハノイの風に吹かれて_b0047028_21525476.jpg次は、ハノイの名所でもある「ホアンキエム湖」を見に行く事にしました。この「ホアンキエム湖」はハノイ市街の中心に位置し、ハノイの人々にとって憩いの場となっている緑豊かな湖です。この雄大な湖をぼーっと眺めていたら、次第に心が癒れてきました。異国にいても、やはり自然を眺めていると落ち着くもんですね。都心にもこのように湖などの自然があるといいものだよな~としみじみ感じました。

ここ「ホアンキエム湖」には、有名な伝説が語り継がれていて、それをトウアンさんが上手な日本語で説明してくれました。その伝説とは、『黎朝の始祖である黎利(レ・ロイ)が、湖に棲む大亀から授かった宝剣で明軍を退け、ベトナムを中国の支配から解放した。その後、その宝剣は大亀に奉還された。』というもの。

そして現在、湖の南に小さな亀の塔が建っており、その場所が黎利が宝剣を大亀に奉還したと言い伝えられている所なのです。こうした伝説から、湖は「ホアンキエム」(『還剣』の意)と呼ばれるようになりました。


◆旧市街◆

次に、ホアンキエム湖の北に位置する旧市街に出かけました。ここは細い通りが入り組み、雑貨や衣類、みやげ物屋、食べ物屋、そして市場などが所狭しと建ち並んでいる活気のある街です。そこで、水煙草、ベトコン帽子、ギター、つげ傘などを買いました。
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旧市街はとても賑やかで、目移りしてしまうほど色んな物が売っていました。ベトナムもタイと同様、交渉次第で安くなります。交渉もあまりしつこいと日本ではあからさまに嫌な顔されますが、海外で買い物する時は、ずうずうしい位が丁度いいと思います。香辛料や乾物、雑貨や民族衣装、民芸品、楽器、本屋、CD屋、食べ物屋、そして行商人が売っている果物などなど。時間があればもっと色々な所を見て回りたかったです。


◆バチャン村◆

ハノイの風に吹かれて_b0047028_2302593.jpg3日目は、ガイドさんとあっこさんとミッキーさんの3人で、世界的に有名な陶器を造っているバチャン村にいきました。バチャン陶器は世界各国に輸出しているともて有名な陶器です。陶器屋が建ち並び、人口約2000人のうち9割近くが陶器造りに携わっているというまさに陶器一色の村。




僕はあっこさんの知り合いの店で陶器を買いました。湯のみセットを安くしてもらい、日本円にして1500円で買いました。日本で買うと、なんと1万円以上はするそうです!何かすごい得した気分です。いい買い物ができました。

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その後、その店の社長のはからいで陶器造りの工場を見学に行くことになりました。見学してびっくり、作業には沢山の人が関わっており、そこには小学生低学年ぐらいの少女達が大勢働いていました。この子達は学校も行かずに働いているんだろーな・・・・。この子達の働いている姿を見て、ちゃんと学校も行きこうして旅行までしている自分の裕福さを改めて実感し、複雑な心境になってしまいました。ある子は陶器の型を作っていたり、ある子は陶器の模様を書いていたり、ある子は陶器を焼いていたり、と様々な作業をしており、この子たちの実に淡々と仕事ぶりは正に職人そのもので、声をかけるのもためらわれるほどでした。普通の旅行客は絶対に見れない陶器造りの裏側を見ることができ、とてもラッキーでした。

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◆旅を終えて◆

3泊4日というとても短い期間であったけれども、ベトナムという国が少し分ったような気がしました。ほんの表面を触れただけかもしれませんが、とても有意義な旅行であったと思っています。次回ベトナムに行った時には、僕のまだ知らないベトナムを発見しようと思います。
# by hidem819 | 2004-10-23 22:05 | ハノイの風に吹かれて

タイ旅行記-改訂版-
プロローグ

その頃の僕は、とにかくストレスが溜まっていた。理由は色々あったが、主に仕事の事、そして人間関係の事である。その溜まりに溜まったものを吐き出すために、そして自分自身を見つめ直すために、意を決して僕は旅に出た。2001年6月上旬の事である。
# by hidem819 | 2004-10-23 22:00 | タイ旅行記-改訂版-

タイ旅行記-改訂版-
日本から脱出

6月9日、とうとう出発の日だ。僕は、1週間ほど前に『地球の歩き方』という、言わば旅行者にとってバイブル的存在となっているガイドブックを買い、毎日のようにそのガイドブックを読みながら異国の風景を想像して、期待に胸を膨らませていた。しかし、期待とは裏腹に不安も沸いてくる。なんせ生まれて始めての海外である。しかも一人旅。不安は無いと言ってみたところで、所詮それは強がりというものだ。色々な不安が頭をよぎっていたが、その時の僕の気持ちは、不安よりも期待の方が上回っていたのは間違いない。もし頭ん中が不安だらけだったとしたら、いい旅なんて出来やしない。


僕は東京に住んでいて、僕の家から成田空港へは比較的アクセスしやすい。僕は、十分時間に余裕を持って家を出た。途中、日暮里の駅で、成田空港に向かう旅行者達がぞろぞろと乗車して行く京成スカイライナーや京成各駅停車を見送り、次に来る急行を待った。何故スカイライナーに乗らなかったかと言えば、単に僕が貧乏旅行者で。出来る限り出費を節約したかったからだ。しかし、そのために予想外に時間をロスしてしまった。次の急行が来たのが30分後。こんなことならスカイライナーに乗っておけば良かったかな、と後悔・・・。
そんなこんなで、無事に成田空港第二ターミナル駅に着いたのはいいが、思いの外時間を食ってしまっていたので焦った。


生まれて初めての成田空港。海外旅行が始めてなのだから当たり前といえば当たり前だが、そもそも飛行機自体生まれてこの方2回しか乗ったことが無い。しかも、随分前の話だ。なので、空港内の構造がまったく把握出来ていない。しかも、僕は結構な方向音痴もである。その上このだだっ広さ。明らかに周りの旅行者より僕だけが余分に歩いているのが分かる(汗)。

えっと、えっと・・・・・何処行けばいいんだ(滝汗)

僕はキョロキョロと首をフル回転させながら、1人空港内を彷徨っていた。彷徨い歩くこと数十分、やっとのことでチェックインまでたどり着いた(汗)

空港内は旅行客がやたらと多かった。何故オフシーズンの6月なのに、こんな旅行客がいるのだろうか、と不思議に思う。ゴールデン・ウィークや夏休み、冬休みの混雑ぶりを想像すると、嫌になってくる。


チェックインを済ませた後、免税店に寄ってタバコ1カートンを買い込んだ。そして、上京したての田舎者みたいに、キョロキョロキョロキョロ周りを見回しながら、搭乗エリアに向かった。迷うことも無く搭乗エリアまで来れたのは良かったが、

え゛っ?

す、少ない、人が少な過ぎる。何で客が4,5人しかいないんだ???何なんだこの状況は(焦)。来る時間が早すぎたのか。それとも、他の客は別の場所で時間でも潰しているのか。それとも、まさか場所を間違えてるのか。すぐにチケットの搭乗エリア番号を確認してみたが、場所は間違っていなかった。人が少なすぎてかなり不安だったが、考えてみても分からないので、気を落ち着かせるため一服しに喫煙室に行った。。

しばらくして、搭乗エリアに戻ってみると人が集まり出していた。さっき人が少なかったのは、単に僕の来る時間が早かっただけだった。心配して損した(苦笑)。指定集合時間の10分前にもなると、搭乗エリアには搭乗客で溢れ返っていた。

ところが、指定時間を過ぎても登場ゲートが開かない。しかも何のアナウンスもない。指定時間から20分過ぎた頃になると、数人の客が待ち切れずに「時間過ぎてるけどまだなの??何かあったの?」と係員に詰め寄っていた。オイオイ、大丈夫なのかよ、この航空会社・・・。

そんなこんなで、指定時間から約30分遅れてやっとゲートが開いた。


航空会社はエア・インディア。機内に入ると、スチュワーデスのインド人のお姉さんが満面の笑みを浮かべながら挨拶をしてくれた。うぉおお~すげぇ~美人、何か幸先がいいぞ!
スチュワーデスのお姉さんのおでこの真ん中には、ちょこんと黒い斑点が付いていた。TVで見るインド人のイメージそのまんまだった。

機内はお世辞にも奇麗とは言い難いが、こじんまりとしていて感じは悪くなかった。僕はチケット片手に自分の座席を探した。スチュワーデスのお姉さんに声をかけようとしたら、横から男性乗務員のおっさんが出てきて座席まで案内してくれた。ちっ!スチュワーデスのお姉さんに案内して欲しかったのに~。僕の席は窓側だったので、早速、窓のブラインドを上げて外を見てみる。丁度、飛機体の左翼がよく見える位置だった。左翼を眺めてみると至る所に錆が目立つ。かなり老朽化が進んでいるようだ。大丈夫かな~この機体、、、。おまけに、継ぎはぎ修理をした後みたいになっている部分もあるし、、、何か怖いよぉ~(涙)。ごめんなさいお母さん、もしかして僕死ぬかもしれない、、、。


おんぼろ飛行機が無事離陸してから、僕は持参したウォークマンで音楽を聴いたり、備え付けのヘットフォンで色んなチャンネルの洋楽を聴いてみたり、字幕がないので内容がまったく分からない新作映画を観たりしていた。

しばらくしてから、僕は免税店で買った煙草を吸い始めた。僕は愛煙家なので、頻繁にプカプカ煙草をふかしていた。すると、僕の隣の3人掛の真ん中に座っているビジネスマン風のインド人のオッサンの様子が段々おかしくなってきた。目をキョロキョロさせたり、おもむろに顔を歪ませて身体を傾けたりする。何なんだよ、このオッサン・・・。すると、そのオッサンは右隣に座っている伸び伸びのTシャツと臭そうなジーンズを穿いた貧乏臭い白人男性と何やら話し始めた。しかも、僕の方に刺すような冷たい目線を送りながら。

オイオイ、ちょっと待ってよ、ここ喫煙席だろーが。

すると、そのビジネスマン風のインド人はスチュワーデスを呼び、ちょっとキレ気味で「煙草の煙で困っているので禁煙席と替えてくれ!」と言っている模様。きっとこのオッサンは内心、「隣のこの日本人をどうにかしてくれよ。大体こいつ煙草吸いすぎなんだよ。こいつのタバコのせいでほんと気分が悪くなってきたよ。このクソガキ!!」などと思っているのだろう。スチュワーデスのお姉さんも、インド人と話しながら僕の方をチラチラ見るし、貧乏臭い白人男性も一緒になってこっちをチラ見してるし、周りの乗客もこっちに注目してるし。オイオイ勘弁しくれよな!なんか俺が悪いことしてるみたいじゃんか!!

スチュワーデスが禁煙席の客に喫煙席と席交換のお願いをしていたが、結局このオッサンと席を替わってくれる乗客は誰一人もいなくて、仕方なく隣の貧乏臭い白人男性と席を交換していた。

残念だったなオッサン。せいぜいこのフライト中、禁煙席を取れなかった自分を恨むんだな、はっはっはっ。なんて最初は思っていたが、段々オッサンに対して気の毒な気分になり始めたので、僕は喫煙のペースを極端に減らし、インド人のオッサンの方に煙が行かないように配慮した。
# by hidem819 | 2004-10-23 21:59 | タイ旅行記-改訂版-

タイ旅行記-改訂版-
『カオサン・ロード』へのほろ苦い道のり

日本を離陸して6時間後、タイの『ドン・ムアン空港』に到着した。あっという間に着いてしまったと言う感じだった。時刻は夕方の4時を回っており、もう日が傾きかけていた。ドン・ムアン空港に降り立ち、空港内をうろうろ歩き回って出口を探した。入国手続きを済ませ出口に向かうと、出口付近にはタクシーの運転手らしき人がたくさんいて、必死に勧誘していた。僕の方にも近寄って話しかけてきた。まっとうな公共のメータータクシーは勧誘なんてしてこないので、こういった類のタクシーはどう考えてもインチキタクシー。胡散臭い交渉制のタクシーの類だろう。なので相手にしない。この種の運転手は必ずボッてくる。

とりあえず、『カオサン・ロード』に行きたいので公共タクシー乗り場を探すことにした。どうやらこっちは裏口らしく、タクシー乗り場が見あたらない。たまたま近くに案内所らしい所があったので、そこで聞いてみることにした。案内所の係員は、とても愛想が良く私の話を熱心に聞いてくれているのだが、思うように会話が通じない。僕はまるっきりタイ語はしゃべれないし、英語にしたって中学生程度の英語を苦し紛れにしゃべっているだけ。無論、これでは会話など成立するわけが無い。

案内所の係員は痺れをきらしたのか、近くにいる警備員を呼び寄せた。その警備員は英語が話せたので、僕のしゃべる片言の英語を理解してくれたようだった。警備員が通訳してくれたおかげで、案内所の係員もようやく僕の話の内容を理解してくれた。案内所の係員と警備員が僕から少し離れ、僕に目線を配りながら何やら話をしていた。そして、タクシー会社か何処かに電話で問い合わせをしてくれた。自分の言いたいことが何とか通じたので一安心。きっと、この人たちがタクシーの手配をしてくれる、と僕は確信した。

けど、ちょっと待てよ・・・

さっきの何かちょっとひっかかるな・・・

さっき僕から離れて話をしていた時、何であの2人笑っていたんだろう・・・・


しばらくして、警備員がこっちに来いと言って僕を呼び寄せ、空港の裏口をすぐ出た所にある駐車場まで連れて行かれた。そして、ここで待つように言われ、数分待っていると40半ばぐらいのラフな格好をしたオッサンを連れて戻って来た。どうやらこの人が僕を『カオサン・ロード』まで運んでくれるらしい。てことは、ハイヤーを頼んでしまったってことか。普通にタクシー乗り場まで案内してくれればそれで良かったのに・・・。でもまあいいや、空港の人の紹介だから危なくなさそうだし。それにしても、随分ラフな格好だなぁ~このオッサン、近所に買い物行くみたいな格好じゃねーか。オッサンは、ちょっと待ってろと言ってすぐに車を回して来てくれた。回して来てくれた車は、タクシーではなくおんぼろの自家用車だった・・・。

え?何で自家用車なわけ??

しかも、ボロくね?


まあ仕方ない、今更グダグダ言っても始まらない。せっかく手配してきてくれた車だ、つべこべ言わずに乗ろうじゃないか、などと半分開き直って僕はそのおんぼろ車に乗り込んだ。


道中、オッサンは日本の事に興味があるらしく、日本では今何が流行っているのかだとか、日本の企業がどうだのこうだのとか、日本人の女は美人で綺麗だとか、ほんとウザイほどしきりに話しかけてくる。そして、僕が免税店で買った『マイルドセブン・ライト』の1カートンの箱を目ざとく見つけると、「是非、日本のタバコを吸って見たいので1本くれないか?」とせがんできた。一本あげる。オッサンはマイセンを一本受け取ると満足気にプカプカ吹かした。吸い終わると、おっさんは平気な顔をして窓からタバコを投げ捨て、「コレとてもうまいから、もう一本くれ」と言い出した。めんどくさいから一挙に5本あげると、その5本をしっかり受け取っておいて、「その箱の柄が気に入った。1箱くれないか?頼む」とせがんできた。しつこかったので、僕は渋々1箱あげた。マイセン・ライトを手にしたオッサンは子供のようにはしゃいでいた。すると今度は、「家族に持って帰りたいから、もう1箱くれないか?」と言い出した。「・・・・・」その一言でプチ~んと切れましたよ、僕は。

舐めくさってんのか!

大体、俺はお客さんだぞ!

おねだりなんかしてんな、ボケ!!

なんて小心者の僕がそんな事を言えるはずも無く、内心はムカムカしながらもヘラヘラと作り笑いを浮かべ、サービスして2箱あげちゃいました。はぁ・・・。


そんなこんなで、1時間半ぐらいして目的地『カオサン・ロード』に到着。車を降りてオッサンに運賃を請求された時、「え?ちょっと高いんじゃないの?」と思わず口に出して言おうとしたが、確かな金銭感覚が無いので口論してもどうせ言いくるめられて負ける気がしたので止めておいた。だってズル賢そうな顔してるんですもん、このオッサン。しかも、『カオサン・ロード』のど真ん中で降ろされたので、周りに多くの通行人が往来しているし、そんな中でタクシー代で熱く口論を交わすのはどう考えても恥ずかしい。どうも周りの目が気になってしまう。それに、タイに来た初日からタクシー代ごときでめんどくさい事になりたくなかったという思いもあった。

後で考えてみれば、人目なんて気にせずに交渉してみればよかったと後悔するばかりだが・・・後悔先に立たず。まあちょっと多めにチップを払ったつもりでいればいいんだ、と悔しい気持ちを何とか納得させていた。


しかし、後々冷静に考えてみると、案内所の係員、警備員、そしてオッサンこの3人がグルだったことが分かる。いいカモが案内所に寄ってきたので、案内所の係員は警備員と相談して何とかこの馬鹿そうな日本人を騙してやろうと思ったのだろう。初めからタクシー乗り場に案内する気などさらさらなく、知り合いのオッサンを呼んできてボッタくらせようとした。そして、僕はまんまとその計画に嵌められたわけだ。儲かったお金は今頃3人でほくそ笑みながら山分けしてる事だろう。

正直なところ、僕は怒りよりもむしろある種怖さを覚えた。案内所の係員や警備員といった公的な仕事をしてる人でさえ、こっちに隙があるとそこにつけこんできて金をふんだくろうとする。しかも、巧妙ななり口で。向こうにとっては、騙すより騙されるほうが悪いという考えなのだろう。たしかに海外では、騙すより騙される方に問題があると見なされてしまうケースが多い。『日本の常識は世界の非常識』とはよく言ったものだ。タイにおいて、旅行客相手の商売は必ずと言っていいほど金額をふっかけてくる。とりわけ日本人は騙されやすい国民として有名だ。それは温室育ちゆえに諸外国の人より金銭感覚が疎いからだろう。例外なく僕もそのような金銭に疎いマヌケな日本人の一人だったわけである。情けない。


その後、『カオサン・ロード』をうろつきながら宿探しをしている時、ケイさんという日本人男性と知り合った。宿を探しているということを伝えると、ケイさん自分が泊まっている宿を紹介してくれた。ふ~宿が決まってようやく一安心。宿は『カオサン・ロード』向かいにあるお寺の裏手にあった。『カオサン・ロード』へは近いし、お寺の裏手なのでとても静かで環境的には申し分ない。ゆったり、まったりしててほんと居心地がいい宿だった。

ケイさんは褐色の肌に後ろで綺麗に縛ってあるロン毛がよく似合っているゴン中山似の好青年。服装にはまったく興味がないらしく、いっつもボロボロになって穴の空いたTシャツを着ていた。すごく若々しい雰囲気だったので、同い年ぐらいだと思っていたら、30過ぎてると聞かされちょっと驚いた。しかも、結婚していて幼い子供までいるらしい。彼はタイ、ジャマイカにちょくちょく出かけては衣料や雑貨などを買い集め、日本で友達と経営しているショップで売っているのだと言っていた。
僕は、ケイさんにあのタクシーの一件を話をしてみた。それを聞いたケイさんは目を丸くして驚いた表情で言い放った。

「それさ、ちょっとじゃなくてかなりボッタクられてるよ」

「ガーーーーーーーン」

あいつら3人に高額のチップをやってしまったわけか・・・_| ̄|○


タイ旅行記-改訂版-_b0047028_2052449.jpgその後、僕とケイさんは早速『カオサン・ロード』に繰り出した。ここ『カオサン・ロード』は、わずか数百メートルの通りに安宿、飯屋、土産物屋、洋服屋、シルバー屋、雑貨屋、古本屋、両替屋、コンビニ、旅行会社などが所狭しとひしめき合っている通りである。強烈なアジアンパワーを発する通りだ。『カオサン・ロード』は、世界中のバックパッカーたちがこぞって訪れ『バックパッカーの聖地』と呼ばれている。ここ一帯は、タイでありながら店屋の店員以外タイ人の姿はほとんど見かけない。「えっと、ここってほんとにタイなのか?」と不思議に思ってしまう。通りはドイツ人、イギリス人、フランス人、オーストラリア人、イスラエル人、アメリカ人、韓国人、香港人、台湾人、そして日本人など多種多様な人種が往来している。正にコスモポリタン状態。様々な人種の人々と接する事ができ、とても刺激的な場所だ。僕は、日夜騒がしいこのカオス的な『カオサン・ロード』が妙に気に入ってしまった。

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# by hidem819 | 2004-10-23 21:58 | タイ旅行記-改訂版-

タイ旅行記-改訂版- 
『ウイークエンド・マーケット』にて

ケイさんに誘われ、朝から『チャトゥチャック』に行った。ここは毎週、土曜と日曜だけ開いている巨大なマーケットで、『ウイークエンド・マーケット』とも呼ばれている。このマーケットはありとあらゆる物が格安で手に入るので、タイ人の週末の楽しみになっているらしい。どうでもいいけど、このマーケットやらたと広い。初めてここに訪れた人はその広さに驚くだろう。しかも、それに加え溢れんばかりの人込み。そして凄い熱気だ。食料品、衣料品、時計、アクセサリー、土産物、観葉植物、アンティークな家具類、日本への輸入が禁じられている珍しい小動物などなど、ありとあらゆる物が所狭しと並べられている。2時間あっても全部回りきれないんじゃないかなーなんて考えていたら、「ここは一日がかりで回らなくちゃ全部見れないから、みんな朝から来てるんだよ」とケイさんにあっさり言われた。あらかじめ買う物をはっきりと決めてこなかった僕は、色んな物に目移りしてしまい結局何も買えずじまいでした。

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ケイさんは探し物があると言う事だったので、途中から別行動をとることにした。屋台から漂ってくる匂いに引き寄せられ、小腹が空いていたので、タコの串焼き、フランクフルト、それから揚げ団子を買った。どれも美味しかった。中でも一番美味しかったのはフランクフルト。ピリ辛のタレが絶品だった。ぺろっと2本食べてしまった。あのフランクフルトまた食いてぇな~


食べ物や古着、アクセサリーなどを40分ぐらい見て回ったのだが、ふと気付くと方向がまったく分からなくなってしまった。

「や、やべぇ・・・」

「くそ~何でこんな方向音痴なんだよ、俺・・・」

何とか来た道を戻ろうとするが、ますます深みに嵌ってしまった。グルグルグルグル同じような所を歩き回り、一向に戻れる気配がしない。ほんとここって巨大な迷路みたいだな・・・。あまりにも訳が分らなくなってしまったので、一度マーケットの外に出て外壁を周って、マーケット入り口まで戻ることにした。とにかく、ケイさんと約束した待ち合わせの時間までに、待ち合わせしたマーケットの入り口まで戻らねば・・・。マーケットの外に出たのはいいが、待ち合わせ場所である入り口と自分の今居る位置関係がまったく分からない。右に行くか左に行くか二つに一つなんだけど、どっちに進んでいいのか見当がつかない。下手する入り口からとどんどん遠ざかってしまいかねない。どうしたものか・・・。

「よし!」と僕は意を決し右方向へ歩き始めた。勘だけを頼りに入り口を目指し一人歩いた。真昼の灼熱の太陽の下、汗だくになりながらただただひたすら歩いた。途中、犬のウンコを踏んでしまったが、かまわずに僕は歩き続けた。きっと周には、死にそうな顔して汗だくで歩いてる小汚い日本人の姿はかなり奇妙に映っただろう。
 

延々と外壁を歩き続け、やっとの思いでマーケットの入り口付近の待ち合せの場所にたどり着いた。

「やった・・・着いた・・・ハァハァ・・・着いたぞ・・・ゼェゼェ・・・」

滝のようで汗で全身びっしょり。正直、露天商を見て回った時間より道に迷って必死こいてた時間のが長い。何やってんだ俺・・・。いや、でもそんなことはもうどうでもいい、待ち合わせ場所に戻ってこれた自分に対してほんと褒めてやりたい。よくやった自分、ほんとよくやったよ(涙)。何故馬鹿みたいに自分を褒めているかって?それはどうしてもケイさんと逸れるわけにはいかない理由があったからです。

ここから一人で宿に帰れないんですよ(汗)


そんなこんなで、待ち合わせ場所で無事ケイさんと会うことができ、宿へ戻ることになった。もちろん、僕が迷って死にそうなぐらい大変だったことは内緒にしておいた。ほとんどの時間外壁を歩いていたなんて恥ずかし過ぎて話せない。

帰りのバスの中、ケイさんが肩から下げている自分のバックをまじまじと見ていた。どうしたんだろうと聞いてみると、

「ちっ、やられた」と一言。

「え?」と聞き返す。

「これこれ、ナイフで切られた」とケイさん。

「うわ・・・」

10センチぐらいサックリと切られていた。


聞くところによると、最近『ウイークエンド・マーケット』では特に外国人を狙ったスリが多発しているらしい。事実、このマーケットによく来ていると言っていたケイさんでさえバックをサクッとナイフで切られていた。僕のウエストポーチは何とか無事だった。僕の場合はウエストポーチを前に下げていたから助かったのかも。今度一人で来る時なんかは、もっと注意を払わねば・・・。

途中、巨大迷路に迷い込んでしまって大変だったけど、まあそれはさて置き、この『ウイークエンド・マーケット』でタイの庶民感覚というものを味わう事ができた。自分にとって大変貴重な体験になったと思う。そして、これからの生活で必要不可欠な金銭感覚も養う事ができた。この事が一番の収穫だったのかもしれない。この熱気、この活気、そして何よりこの物の豊富さ、『ウイークエンド・マーケット』はホント楽しい。きっと何度行っても飽きないんじゃないかな。是非もう一度来てみたいと思った。


帰り道バス停に向かう途中、道端にうつ伏せになってもがき苦しんでいる人がいた。両足の膝から下が無い。泡を噴きながらしきりに何かもごもご言葉を発している。その言葉は障害者のそれだ。人々は買い物袋を下げ会話を弾ませながら、その人をよけて通り過ぎて行く。通り過ぎる人たちは皆この人の事を気にかけている様子はない。
 
僕はショックを受けた。こんな光景は日本ではまず有り得ない。タイは貧富の差が激しく、その上この様な障害を負った人に対しての福祉が遅れているんだな・・・と僕はこの人を目の当たりにして痛感した。しかし、タイではこの様な人は決して珍しくない。人々が気にかけていなかったのは、きっと見慣れているからだろう。実際、僕も道で物乞いをしている身体障害者や赤ん坊抱き物乞いしているぼろぼろのお母さんなど、恵まれない人々をよく見かけた。改めて日本の社会との違いを考えさせられた。
# by hidem819 | 2004-10-23 21:57 | タイ旅行記-改訂版-


東南アジア旅行日記

by hidem819
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