パダウン族
朝早く宿を出発し、僕とミーは『チェンマイ』の北西に位置する『メンホーソン』へ向かった。ミャンマーに隣接し、山の中に開けた小さな町『メンホーソン』。標高が高いため、朝霧がたちこめ町を覆う幻想的な風景の町。かつては隔絶された町であったが、最近ではトレッキング目当てに旅行者が増え続けているという。
『チェンマイ』からは、北回りと南回りの2つのルートがある。僕たちは、南回りのルートを選んだ。途中5回ほどトイレ、食事休憩を挟みながら、約8時間後やっとメンホーソンに到着した。このバスもやっぱり冷房が効き過ぎで異常に寒かった。タイのバスって何でいっつもこうなんだろうか・・・。
到着後、僕らは『チャンマイ』でお世話になったこずえさんから予め紹介されいた宿へ向かった。歩いて5分ぐらいの所だったので宿はすぐ見つかったのだが、到着したのが夜中の4時半頃だっため宿は真っ暗。ドアを叩いても誰も出てくる様子が無い。迷惑だと知りつつ何度もドアを叩いてみたところ、奥の方からガサガサと音がしてパッと電気が点いた。そして1人のおじさんが眠たそうに目を擦りながら出てきた。
「すいません、夜分遅く申し訳ないのですが・・」と、思わず日本語が出てしまったが、通じるわけも無く、事情は全てミーに話してもらった。こずえさんから話は通っていたのか、真夜中に突然の来客に叩き起こされても、おっさんは特に不機嫌な様子は無かった。むしろ快く歓迎してくれてる様に見えた。
おじさんは布団に戻らず僕らの話を聞いてくれたので、3人で明日のスケジュールについて話う事にした。僕が『メーホンソン』に来た理由は1つ。『パダウン族』をこの目で見てみたいと言う事、それだけだ。『パダウン族』、彼らは通称『首長族』として知られている。『メンホーソン』近郊には、『パダウン族』が住む村が3ヵ所ある。おじさんの勧めにより、市街の南西にある『フエソイタオ村』に行くことに決めた。『フエソイタオ村』は、3ヵ所ある村の中で一番道が悪く行きずらい村であるからか、まだ観光地化が他の2ヶ所ほど進んでないと言っていた。僕らは、『パダウン族』の村を見に行く日帰りツアーに申し込んだ。が不運にも、今は他の旅行者がまったくいなくて、料金が割高になってしまった。いつ来るか分からない観光客を待っている時間的余裕も無く、早く彼らに会いたかったので、僕らは2人で行く事に決めた。
翌朝10時頃、おじさんのピックアップカーに乗り、僕らは『パダウン族』の住んでいる村へ向かった。徐々に山の中に入る従って道がスゴイ事になってくる。平気でタイヤがスッポリ沈むぐらいの深い水溜りを通ったり、車が横転しそうなぐらいのデコボコ道を通ったり・・・。正に『道なき道を行く』とはこう言う事なんだろーな、なんて思いながら、車から振り落とされないように必死に車にしがみついていた。
約2時間ぐらいでやっと村に着いた。まず、入り口で入場料を取られた。その辺は観光地のシステム。しっかりしている。この村で暮らしている『パダウン族』にとって、どうやらこの入場料が大きな収入源らしい。
僕とミーはおじさんの案内で村の中に入って行く。村には露天商がたくさんあり、『パダウン族』が、手織りの民芸品やアクセサリーなどの小物雑貨、ポストカードなどをを売っていた。初めて間近で見る『パダウン族』は、やはり凄いインパクトを発してた。
「うわっ、首長っ、、、」
『パダウン族』は異様に首が長く、顔がちっちゃい。それから首に真鍮の輪をたくさんはめているせいで肩が落ちている。加えて、飯ちゃんと食べてるのか?と心配してしまうほどみんな華奢。始め彼らと会った時は、彼らに対して身構えてしまったが、彼らと接している内に気兼ねなくしゃべれるようになってきた。彼らは心優しくとてもシャイな民族だ。
おじさんは、『パダウン族』のみんなにとても親しまれていた。他に欧米人や南米人の観光客団体を引き連れて来ていたガイドも数人見かけたが、おじさんは他のガイドとは明らかに違っていた。『パダウン族』に心底打ち解けられてるガイドは、おじさんだけだった。実際、おじさんは『パダウン族』の人々の名前を知っていたり、親しそうに『パタウン族』と世間話をしていたり、子供と仲良く戯れて遊んでいたりする。おじさんは観光案内抜きで良くこの村に訪れるとも言っていた。「おじさんって、ほんと『パダウン族』と仲いいよね。」と聞いてみたら、おじさんは「彼らは私の友達だからね」と言った。少なくともおじさんだけは、彼らの事を観光の見世物として捉えていない。
『パダウン族』は『カレン族』の一支族であり、民族の中でも最低位に属する種族である。また、『パダウン族』はミャンマーのカヤ州などに多く居住しており、ここメーホンソンに居住している『パダウン族』はミャンマーからの難民で、観光用にタイに連れてこられたと言われている。『パダウン族』の女性は、幼少の頃から真鍮の輪を首につけ、年齢とともにその数を増やしていく。首が長ければ長いほど美人であるらしい。男は首輪を付けないのだが、どういうわけか村では男の姿がまったくと言っていいほど見かけない。出稼ぎにでも行っているのだろうか。
『パダウン族』と会って僕が一番驚いた事は、
パダウン族は数ヵ国の外国語を話す事ができるということ。簡単な会話なら英語、フランス語、ポルトガル語、スペイン語、韓国語、そして日本語までしゃべる事ができる。きっと観光で来た外国人から覚えたのだろう。まさか、彼らに
「オニーサンカッコイイネ、コレドウ?」と民芸品を売りつけられるとは思っても見なかった(笑)。彼らは、僕ら観光者が一緒に写真を撮ってもらうと、必ずといっていいほど代わりに物を売りつけてくる。とっても商売上手な民族だ。彼らは、自分たちが観光の見世物になっているという事を十分理解した上で商売しているのだろうが、この割り方には頭が下がる。非常に逞しい。
自分も写真を撮った当事者でありながら、こんな事を言うのはまったく身勝手であるけれど、見世物として写真をバシャバシャ撮られている彼らを見ていて、かわいそうで仕方なかった。けれど、次第に彼らと接している内に、彼らは僕の考えてるよりももっとしたたかで頭のいい民族ではないだろうかと思えてきた。
日本では、彼らのことは『首長族』として知られている。しかしながら、彼らは『首長族』と呼ばれる事に対して、あまり好ましく思っていないのだとおじさんは語っていた。彼らを目の前にして、不用意に「首長族」などとは言わない方がいいだろう。『首長族』という名称は、勝手に誰かが付けた別称であって、彼らには『パダウン族』というちゃんとした名前があるのだから。
夕方、僕ら3人は宿に戻った。そして翌朝、僕とミーは荷物をまとめて再びバンコクを目指し出発した。